一生 from cradle to grave 2005 10 10
人間に、一生があるように、国家にも、一生があります。
農業国家→教育国家→工業国家→金融国家→観光国家(もしくは文化国家)。
こうした物差しで、世界を見てください。
「あの国は、金融国家だ。こっちの国は、観光国家だ」と、いろいろ見えるでしょう。
さて、日本。
今、日本は、どこにいるのか。
最近、「貯蓄から投資へ」という言葉を聞きます。
本屋やテレビでは、株式投資を特集した本や番組が目立ちます。
しかし、みんなが投資家になっては、日本は、終わりです。
後は、観光国家で生きていくのか。
日本が、豊かで、贅沢ができるのは、
優秀な工業製品を作って、それを輸出し、それで儲けてきたからです。
日本は、金融では、食べていけません。
物事の基本を見誤っては、いけません。
しかし、みんな、物事の基本が見えないのです。
これは、たとえ、一流大学を卒業していても、同じです。
最近のエリートと自称する人たちは、
「課題が与えられれば、完璧にこなすが、課題を見つけることができない」という、
官僚タイプが増えています。
自分の守備範囲を、どんどん狭くしていって、
その狭い守備範囲の中で、能力を発揮する。
実は、こうした人は、頭がいいとは言えないです。
経済的な理由で、大学へ行けなかった人たちは、決して、嘆いては、いけません。
世の中には、一流大学を卒業していても、
実は、頭が悪い人たちが、星の数ほど、いるのです。
今は、国家百年の大計という言葉は、死語に近い。
みんな、狭い守備範囲の中で、専門家になってしまい、
全体を鳥瞰する人がいないのです。
船頭のない日本よ、どこへ行くのか。
時代の大波に揺られて、大海を漂うだけなのか。
「鳥瞰(ちょうかん)」
(鳥が見おろすように)高い所から広範囲に見おろすこと。
転じて、全体を大きく眺め渡すこと(広辞苑)。